福生ダラリ旅…前編

月刊特集 2017年7月

福生ダラリ旅。文化財などダラダラと、めぐる。

店長 広川 先日、暑くなる前に、福生に詳しい方と、ダラリと歩いて来たよ。

店員 島 今回の表紙のデザインは完全にエネーチケーのブラ●モリを意識してデザインしました(笑)。

店員 山本 お店は福生にありますが、店長は日野市生まれで3歳から瑞穂町なんスよね。

広川 そう、福生についてはそこまで詳しくなかったんだよね。そこで一緒に案内してくれたのは、2月のギブミーチョコレート企画で戦後、実際にアメリカ軍の兵隊さんからハーシーズのチョコをもらったおじいちゃん。

福生の百年

店員 島 そうです! 生き証人のあの方ですね。ちなみに私もカメラマンとして同行しました。左上の黒い本をもとに、昔の写真と、今の風景を見比べたりしました。

山本 途中、文化財も見学できたとか?

広川 そう、おじいちゃんの顔が広いという か。あの年齢になると例えば初対面でも、どこに住んでるとか誰の知り合いとかそういう話で通じたり、盛り上がったりするのがすごいよね。これはネットでもSNSでもかなわない世界だよね。

 いや、本当にリアルの世界はすごいというか。今回出会った「福生市登録有形民俗文化財」の古谷さんも、PC-Bohで冬はみかん毎回10キロずつ買って下さっているみたいで。店長と盛り上がってましたね。

広川 初対面と思って挨拶したら、あれ? 会ったことあるな…と。うちのお客さんでした(笑)

■初対面かと思ったらお客さんでした。

山本 よくあることッス(笑)

 ともあれ、その古谷さんの有形民俗文化財をはじめ、貴重な歴史あるものを見せてもらいました。井戸もポンプ式と、桶に水を汲むタイプがありました。桶タイプは子どもの頃は使わせてもらえなかったようです。桶持ったまま落っこちてしまう危険があったからとか。そんなお話もお聞きしました。

広川 実際に文化財になったのは穀物を備蓄する木造の小屋。

山本 「飢饉用の貯蔵庫である穀箱、粟(あわ)や稗(ひえ)などを備蓄していました。古谷家穀箱は、文政四年(1821年)の建築と推定されています。田村家穀箱と同様、江戸時代の農民生活を知る貴重な資料です。※福生市郷土資料室より引用ここにお米を備蓄してたと。江戸時代のものなんスね。

 挽き臼もありました。ゴリゴリすり合わせる面を見たのですが、その溝が芸術的ですよね。これで大豆や小麦、蕎麦の実等の穀物を粉砕。当時から使っていたものです。歴史を感じますよ。

広川 文化財を見せてもらったあとは、野菜の洗い場なども見たよね。これは今も現役で使われているね。

■野菜洗い場。東京でこの設備は逆に新鮮ですよね。

 私は埼玉出身ですがこういうのは初めてみました。風情があり当時の生活を感じることができますね。 広川 他には、清岩院の「庚申(こうしん)塔」も見てきたよね。

山本 これは福生市の指定有形民俗文化財なんスね。

 看板の説明では、江戸時代に民間で流行した庚申信仰講の信者が造立した石塔。市内に13点あり、この清岩院の元禄12年(1699年)の塔が最古だそうです。保存状態も良いことから学術にも貴重と言うことです。

山本 庚申塚(づか)ともいうらしッスね。庚申信仰は仏教とは違うと。

広川 中国の道教に由来するらしいよ。本尊は青面金剛。この庚申塔に見える像は青面金剛ということだね。

 福岡や長野、千葉や岐阜・栃木・埼玉と各地にあるそうで。情報が乏しい江戸時代で広域に渡って信仰されいたんですね。

元禄12年の庚申塔。FUSSAイエーイじゃない(笑)

広川 福生市もアメリカ的な売り出し方しているけど、こういうものも、もっと大切にしてほしいよね。

 行政はアピールベタですよね。FUSSAイエーイ! と言う前にいろいろやることがある気が(笑) 山本 ちょいディスってるッスね(笑)

広川 なんてことを話しているうちにもう終わりの時間に。福生ダラリ旅、次回はもう少し清岩院と、多摩川あたりをダラリとします。お楽しみに!

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください