福生ダラリ旅…後編

月刊特集 2017年8月

福生ダラリ旅も後編。

店長 広川 皆さん、こんにちは。前回までのあらすじです。昭和20年にアメリカ軍の兵隊さんからハーシーズのチョコをもらったことがあるお客さんと一緒に私、広川が福生をダラリと旅をしました。今回はその後編です。

店員 島 とにかく今回はお店周辺の北田園付近をダラリしましたね。前編のご意見で地図を載せてとのことで掲載。

店員 山本 今回は清岩院ッスね。

広川 清岩院は、別名で福生山という。まさに福生を象徴する寺院だね。

 歴史もあり、建立されたのが、なんと応永年間。室町幕府。ですから600年以上前ですね。

山本 歴史がものすごいッスね。

広川 全部が古いわけじゃないよ。弁天堂とか本堂は平成に入ってから建立。でも写真を見てのとおり、この佇まいは夏でも、冬の雪景色でも似合う。

 ちなみに収められている菩薩立像は、白鳳時代の七〜八世紀初頭に制作されたと推定されているみたいです。さらに当時でも珍しい造形で、初唐期の中国で制作された可能性も考慮されるらしく、歴史的にも芸術的にも、学術的にも価値のある文化財なんだそうです(福生市教育委員会掲示より)。

山本 そういえば、ここの湧水は東京57選にも選ばれてるッス。あと、福生十景の一つっス。

広川 こんなに素晴らしいところなんだからさ、もうちょっとうまくアピールしてもいいよね。お茶屋さんなんてあってもいいのかもしれないよね。

 確かにちょっと休憩する場所があっても良かったと思います。

多摩川? 玉川? にまつわる話。

山本 次は多摩川の昔の写真と見比べながら、ダラリ旅をしたんスね。

 お店からちょっと歩けば、雄大に広がる多摩川…。すばらしい資源だと思います。

広川 多摩川を語ると、この紙面じゃ収まらない色々な角度からのエピソードがあるよね。多摩川は上流から流れてきて福生は中流あたり。神奈川との県境に流れ、下流は府中や狛江を通り、大田区と川崎市を挟んで東京湾へ出る。

山本 下流では別名「あばれ川」と呼ばれていたみたいッスね。川を挟んで両岸に同じ地名がついているのは、洪水のたびに村が分断されたからなんス。例えば「布田」は調布市にもあるし、川崎市多摩区にもあるッス。

広川 同行してくれたおじいちゃんが言うには福生のこのあたりも氾濫したことがあったようだよ。

 資料によると多摩川自体の名前の由来は諸説ありって感じですね。万葉集に「多麻河」と出て来たり、11世紀・平安時代の更級日記には「武蔵国石瀬川」と呼ばれていたようです。奥多摩湖に注ぐ「丹波川(たばがわ)がルーツとも。

山本 江戸時代になると「玉川」と呼ばれていたみたいスね。二子玉川なんてその名残り。

広川 地元の歴史や地形を辿っていくと色々な人の営みが見えてくる。福生の人もきっと見えてくる――面白いよね。スペースの都合で今回はこの辺でお終いだけど、機会があったらまた福生をダラリと旅したいね!(終)

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